0号です。
忘れもしません今から20年ほど前、浅野女史とヤプーズマーケットを創設し『転落マゾ男監禁セミドキュメンタリー』シリーズ第二弾をリリースした直後の1999年の冬、大阪からの消印で少し厚めの白封筒がヤプーズマーケット宛に送られて参りました。
丁度、この頃から出演男優希望者の履歴書や作品に対しての感想のお手紙がポツリポツリと届く様になっており、差出人が知らない男性名でしたので、てっきりその何方かだと思い手に取りました。
早速、浅野女史と2人で封筒を開けると中には数枚の便箋に読み易い文字で丁寧に書かれたお手紙。
文頭に『私は大阪の春川ナミオと言う名で絵を描いている者です。御社のビデオ作品拝見致しました。一言に素晴らしい作品でした。』と書かれておりました。
正直、封筒に書かれていた差出人名(本名)と文中の自己紹介名が違っておりましたので一瞬戸惑いましたが『春川ナミオ』と言う私の脳味噌に長年刷り込まれていた名前のご本人からのリアルなお手紙を読んで行く内に私はその場で固まって仕舞ったのことを覚えております。
私が18歳の頃、古本屋で偶然手にしたエロ小説雑誌(SM雑誌)に載っていた衝撃的なナミオ先生の作画を見て仕舞いこの性癖世界があることを知り、幼少の頃から内に秘めていたムズムズモヤモヤするモノと完全に一致させてくださいました。
そこから数年先のYM創設まで私の中身はほぼ『M道一直線』でした。
私のM性癖を視覚で覚醒させた後、『家畜人ヤプー』と出会わせ、Mビデオ業界に誘導しヤプーズマーケット創設に辿り着く道のターニングポイントとなったのがその時見た先生の作品だったと申しましても過言では御座いません。
送られて来た数枚の便箋には作品の感想やアドバイスがびっしり、そして最後の用紙には貴婦人が男性に生尻顔面騎乗スタイルで便器として使用しているラフ画と『ナミオのひとりごと』と銘打ったそのラフ画にドラマ性を持たせる為の文章が添書きされておりました。
私はそのラフ画と便箋を持ったまま嬉しさと感動で震え何やら
「届いた!!届いた!!」
と独り言を発しボロボロ涙を流していたとその場に居合わせた浅野女史も申しておりましたし、勿論、私もそれを自覚しておりました。
その後、浅野女史にも説明しましたが私をこの世界に引き摺り込んだ影響力のある絵の作者である春川ナミオ先生が、今度は私等凛龍が制作した処女作品シリーズ全巻を自ら購入して頂きそれを視聴してくださり感想文まで送ってくださった事により
先生に「認められた!」「届いた!」と言う心の声を思わず発して仕舞った言葉でした。
そこからは作品作りのモチベーションが更に高まり、新作リリースの度に先生に進呈致し暫くすると感想のお手紙が返信されて来ました。
そこにはカメラアングル等、厳しいご意見アドバイスも書かれておりましたが、便箋の最後には必ず先生のラフ画が添えられておりました。
そして、それからは浅野女史と所用等で関西方面に行く度に先生に連絡、予定が空いていればお会いしホテルのラウンジレストランや和食屋さんで会食したり客室でわざわざご持参して頂いた沢山の原画を広げ拝見させて貰った時も御座います。
その原画一枚一枚のバックに効かせた小ネタ部分の説明等、子供の様に無邪気に説明もして頂けましたが同じフェチを持つ者として絶対に私の記憶から消えない時間でした。
最初にお会いした時、北川繚子様や夢屋のレオポルド本田監督ともそれぞれ昔から親交があり私が夢屋の男優だった時代からご覧して下さっていたらしく顔面に座られた時に女優様を少しでも残酷に魅せる為の緩急を意識した喘ぎ方が良いとお褒めの言葉も頂きましたが、もしお世辞だったとしても心から嬉しかったことは言うまでも御座いません。
時々垣間見れる『大阪の茶目っ気あるけど何処か上品なおっちゃん』は、敢えてやや豊満に描いたという浅野女史の肖像画や『RINRYU』『YAPOO’S MARKET』等の小ネタ?文字が隅に描かれた原画を何かある度にプレゼントして頂きました。
勿論、それ等は『社宝』誇りとして事務所や自宅に飾って御座います。
そんな先生の作品や画集は当時この世界を深く知らないままYMへ参加に来られたお嬢様達の撮影前に見せる教本として使用したことも御座いますし、敢えてそのまま先生お好きな『小ネタ』としてYMシーン内に然りげ無く映り込ませていただいたことも‥。
先生と最後にお会いしたのは約10年前、梅田のカラオケBOX、お仕事として絵を描いて頂きたく当時豊満S女作品を制作を企画していた某女性監督を引き合わせた時でした。
その当時、肩や腰が痛いと常々お手紙で仰っておりましたので、バンテリンの詰め合わせをお土産に持参しお渡しすると大変喜んで頂きました。
昨日、とある所から先生の訃報をお聞きしました。
私はこのブログに先生との出会いから思い出のみを走り書きしようと決めました。
しかしながら、思い出と共にこの文章を書き始めたのですが色々な思いが溢れ出して仕舞い、筆の進みが遅くなり長文乱文となってしまいました事をお詫び申し上げます。
ここのところ新型コロナウイルスに感染した有名芸能人の訃報が続き日本中に激震が走りました。
あからさまに表には出ないでしょうが、先生の訃報は全世界中に散らばっているであろう『春川ナミオ作品』のマニアは元より私と同じ様、同作品に影響を受けてこの性癖にどっぷり浸かって仕舞った人達の間では大きな衝撃が伝わっていることでしょう。
春川ナミオ先生
本当にありがとう御座いました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
チーム凛龍 ヤプー0号 山田龍介
謹んで心からお悔やみを申し上げます。心に沁みるエピソードをありがとうございました。同じファンの一人として悲しみに堪えません。コロナが収束しても、GWは藻に服して過ごします。
■おおお〜!!homerさん!!コメントありがとうございます!!
>心に沁みるエピソードをありがとうございました。
直接先生と大阪で最後にお会いした約10年前「身体の節々がしんどくて中々東京へは行けませんが好きな絵は描き続けます。お互いこの世界で頑張りましょう」と、仰って下さいました。
その後homerさんが監督された北川プロさん作品『顔面騎乗に花束を!』に友情出演(独占インタビュー)されていたお姿を観て安堵しておりました。
先生の作画を最初に見た我々M男性は雷が落ちた様な衝撃を受け影響されて仕舞う方が多いのでしょうが、一般の方々含む女性様達には普通に芸術として観れる優しさというか不思議な魅力が御座います。
弊社の一般事務員さんと先生の画展に行った時にそれを感じました。
因みにあのマドンナも先生の作画のファンだったらしいですね。
なんか日本人M男性の1人として誇りを感じます!!
学生の頃にSMに興味を持ち、そして春川ナミオさんの作品に出会いマゾに目覚めました。
自分の性癖は周囲の誰とも共有出来ず、春川さんの作品だけが思春期の私の唯一の理解者のような存在でした。
思春期の頃の自分の何か一つを失ったような感覚です。
ご冥福をお祈りいたします。
■Makottoさん、春川先生へのお悔やみのコメントありがとうございました。
>自分の性癖は周囲の誰とも共有出来ず、春川さんの作品だけが思春期の私の唯一の理解者のような存在でした。
仰る通り現在はTwitter等で同じ性癖嗜好の他人と簡単に共有出来ますが以前は中々その様な場所は御座いませんでしたからね。
私も思春期、春川先生の作画に出会うまで私と同じ性癖の人が他にいるなんて思えませんでした。
春川先生の身体は惜しくも天国に逝ってしまわれましたが、先生の魂とも言える数々の作画は確実にこの世に残りコレからも沢山の人達に影響を与えて行くことでしょう。
始めてコメントさせて頂きます。
私もこの訃報にびっくりしています。今から32年前の青春時代、レンタルビデオ屋さんの隅のエロ本のコーナーの一角にあるマゾ本(スレイブ通信‥)を立ち読みの様にパラパラ見て、この様な世界があるんだ!と衝撃を受けたのを昨日の事の様に思い出します。自分の性癖がこれだと確信して心臓がドキドキしながら本を手にして買ったのを覚えています。
そんな春川先生がなくなられたこと心からご冥福をお祈りいたします。
と同時に、自分の様な、性癖を隠しながら生きてきた自分の性のよりどころを提供していただきました事
本当にありがとうございました。
■マゾ男さん初めまして、春川先生へのお悔やみコメントありがとうございました!!
>レンタルビデオ屋さんの隅のエロ本のコーナーの一角にあるマゾ本(スレイブ通信‥)を立ち読みの様にパラパラ見て、この様な世界があるんだ!と衝撃を受けたのを昨日の事の様に思い出します。
やはり昔ですとエロ本の置いてある書店の角にあるSM雑誌を見て仕舞いこの世界があるのを知り覚醒する方が多いですよね?‥全く私と同じです。
そして春川先生の作画はそんな私達のよりどころなのも確かです…
安らかに眠って頂きたいですね。
浅野ナオミ様
ヤプー0号様
いつも素晴らしい作品をありがとうございます。
私は4歳くらいから、赤いハイヒールに特別な思いを抱き、そこからmの世界に入り込みました。
中学生の頃、春川ナミオ先生の画を見て、ずっと隠してきた、悩みに悩んだ性癖が具現化されているのを知って、大変勇気づけられました。
ナオミ様がヤプーズマーケットを立ち上げられ、それからチーム凜龍に至るご活躍を一ファンとして、熱い思いでみて参りました。
その時いつも春川ナミオ画伯の作品とナオミ様のイメージが重なって、変な表現ですが、mの思いにブーストがかかって、とても幸せな気分でした。
ナオミ様は春川ナミオ先生と対談後に実際にお尻に敷かれ、試してみたと書かれていましたね。
ナミオ先生は黄金シーンを描きながらも現実にはとても受け止められなかったとhomerさんに打ち明けておられました。
春川ナミオ画伯の作品は永遠に残りますし、ナオミ様はこれからもご活躍されることと思いますので、m男達の星が一つ天に昇っても熱い思いはこれからも続くことでしょう。
ナオミ様、これからもm男を熱く、厳しく照らす星であってください。